2024-03-25

大学を卒業した

2度進級し、1度留年し、1度休学し、計4年でついに大学を卒業した。 3年次編入した上で進級に失敗することで他人を混乱させることが出来るようになる。


「砂に水を撒くような仕事です」というセリフが1973年のピンボールに出てくるが、 二酸化珪素の側の人間としてはそれよりは実のある仕事なのではないかと思う。 実際に水がどのようなものかを僅かでも知れたのは良い経験だった。

生物というシステムのうち、人間に理解されている領域は極めて狭いことを知った。 私は実数集合内の有理数集合を連想したが、実際もう少しマシかも知れない。専門外なのでよくわからない。 言語や法は極めて子細に分析されていた。 ただ私に理解出来た範囲の話は正直雑学どまりで、それで何の役に立つのかと言われると話のネタになるくらいでしかないが。

体系的なコンピュータサイエンスの知識が時々Twitterで話題になっている。 4年間計算機科学の学科に居てもそんなものが現に存在する実感はあまり持てなかった(私が不勉強なだけかもしれない)。 100年足らずの時間で積み上げられた経験知と、それよりは遥かに長い歴史を持つ数学を応用するテクニックには触れることが出来た。 分野間の繋がりや作法こそが体系であり、目の前のCI時間や確率的に発生する500 INTERNAL_SERVER_ERRORをあまり意識しないで済む時間が 体系的な教育なのかも知れない。


留年と休学の理由は簡単にいうとバイトのやり過ぎと感染症による精神的な不調だった。 正確にはバイトではないが、似たようなものだった。 分業は極めて偉大な発明であり、バックオフィスは非常に重要な仕事であり、 私は明らかに業務委託契約より雇用契約が向いているという教訓を得た。

精神科ではモノアミンの作用を多種多様な方法で操作する薬を処方された。 セロトニンの濃度を高めて治療すると添付文書には書いてあったが、 主観的には自分にはあまり効かなかった。 何回かPubMedで論文を検索したが、どれも患者が手にする文書に書かれているような単純な機序ではないと主張していた。 生物のうち人間に理解されている範囲は狭いが、 統計という強力なツールがあれば意外と何とかなるということの一つの例だなと思った。


大学を卒業し学位から「準」の字が外れるが、研究室を変えずに大学院へ進学するのであまり実感はない。 同期に入学した友人が何人か離れるのは少し寂しい。 大学では特に人に助けられることが多かったので、自分も人を助けられるような人間になりたいと思う。